2008年09月03日
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徳富蘆花の歩いた跡を推理する・地図と郷土史の面白さの一例がここにある

Written By: 川俣 晶連絡先

前置き §

 下高井戸の近辺には、田端や馬込のような文士村はありません。しかし、誰もいないわけではありません。中でも特に大物であるのは、徳富蘆花でしょう。何が凄いといって、住居の跡地が広大な公園(蘆花恒春園)になっているだけでなく、名前が「芦花公園」という駅名にまで取り込まれています。

 そういう意味で、「徳富蘆花」は前から気になっていた名前ではあります。蘆花恒春園も、その中にある徳冨蘆花旧宅にも行ったことはありますが、今のところその程度。いずれ機会が有れば、もっと詳しく知りたいと思いつつ放置されていました。

本題 §

 桜上水Confidentialさんが面白い話を書いています。

 詳細は上の文章を読んでいただくとして。

 これは面白い、と思いました。

 その感想は、いくつかの理由が複合したものです。

  • (広義の)地元の大物有名人の足跡である
  • 上町付近は知らない場所ではない (いくつかの理由で何回か周辺を歩いている)
  • 近代的な測量技術をベースにした地図が既に存在する年代である
  • つまり、地図やその他の資料と付き合わせることで、徳富蘆花がどこを歩いたか確定できる可能性が高い
  • しかし、現在とは状況が大幅に違うため、現在の常識では経路を追い切れない
  • 調査、分析能力によって解き明かす推理ゲーム的な側面が大きい

 ちなみに江戸時代まで遡ると、確実に辿れる範囲が限定されてしまいます。もっと昔までもどれば、不確かさは更に増えます。そういう意味で、古い時代のことは、「分かることだけ何とか分かる」のが精一杯です。しかし、徳富蘆花の時代であれば、ある程度の水準まで確実な明確化ができるでしょう。その「できる」という点が「面白い」と思います。

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